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2018年04月21日

Feynman先生の教え(前編)


統計学を勉強する技術者に私が最初にアドバイスすることがあります.それは,勉強する過程で生じる様々な疑問に対する心構えについてです.疑問が生じるのは一般的には良いことと考えられていますが,その疑問が足枷になってしまうこともあるのです.この足枷を外すには,疑問には階層があるという認識が重要です.重要なことは,その人によってはそもそも理解することさえ許可されていない疑問もあるということです.その上で何が理解することが許されていて何が許されていないかを知る必要があるということを知ることが大切です.
こう書くと誤解を招くかもしれませんが,これは物理学者のRichard Phillips Feynmanの受け売りです.彼が二つの磁石の間に働く力について質問をうけたときの回答がYouTubeにあります,統計に限らず科学を勉強するものにとって重要なポイントをついていて,有名なのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません.URLを貼ろうとも思いましたが,著作権が不明でしたので「Feynman, Magnets」というキーワードで検索してみてください.このビデオでは質問に答える側の立場から,非常に乱暴を承知でまとめると.質問者のレベルを知らなければ答えることは難しいと言っています.社会人の場合,基本は独学ですから質問をするものと受けるものは同じなので,私も(統計に限らず)勉強をしていて,ときどきこの教えを思い出す状況に遭遇します.Feynman先生の英語は比較的聞きやすいと思いますが,この記事を書くにあたってもう一度YouTubeで聞き直してみました.調べても和訳されている方が見つからなかったので,英語が苦手だという方のために以下に前半部分だけ意訳してみます.私の英語力では聞き取りにくい箇所もあったので,細かいところでは間違いあると思います.参考に留めてください.何かしら間違いあればご指摘いただけるとありがたいです.
状況はおそらく新聞か雑誌の取材かはわかりませんが,おそらくその類の記者から磁石が反発したり引き寄せ合ったりする現象について質問されるところから始まります.会話が交錯して聞き取りにくいですが,質問者をI,FeynmanをFとして冒頭のやり取りは以下のようです.
I「二つの磁石の間に感じるものは何なんです?」
F「それはどういう意味だね?」
I「そこに何かがあるんですよね?何かがそこにあるという感覚がありますよ.」
F「そりゃ何かを感じるだろうよ.それより僕の質問に答えてよ.何が知りたいんだい?」
I「この二つの金属の間に何が起こっているのかが知りたいんですけど.」
F「反発しあってるんだよ.」
I「それがどういう意味なのか,なぜそうなるのか?これってもっともな疑問だと思うんですけど.」
磁石の反発についてその現象を高名な物理学者であるFeynmanであればうまく説明してくれるだろうと期待した質問者でしたが,取り合ってくれないのでいささかムッとしたようです.「そんな愚問じゃないと思うんですけど」というところでしょうか.これに対して以下ミニーおばさんが病院にいるという例を示して Feynmanの長い説明が続きます.第一声は「もちろん,素晴らしい質問だよ.だけどね,なぜそれが起こったのかと聞くときは,いかにそれに答えるのかが問題なんだよ.」と言っています.どういうことなんでしょうか.以下は意訳しますが,重要なポイントは下手な訳ではニュアンスがつたわらないかもしれないので,英語を聞き取ったものも併記します.

例えば,ミニーおばさんが病院にいるって,なぜか?氷ですべって,お尻を打ったからさ.地球人ならこの説明で満足するけど,宇宙人ならお尻を打ったら病院にいくということは知らないよね.お尻の骨が折れてたときに,どうやって病院にいったんだろう?ミニーおばさんの旦那さんが病院に電話して人をよこしてもらったのさ.これですべて納得できるよな.このように,なぜかということを説明するとき,それが真実だと思う何らかの枠組みを前提としなければならないんだ.(When you explain a why, you have to be in some framework that you allow something to be true. )そうでないと,永遠に「なぜ」を問い続けなくちゃならなくなる.なぜ旦那さんは病院に電話したの?奥さんの幸せのためさ.いつもそうだというわけじゃないよ,酔っ払ってたり,喧嘩したりしてるときには.奥さんの幸せに無頓着な輩もいるからね.

そして,君は世界を理解するってこと,そしてそれが複雑なものだってことが面白く感じられるようになり出すんだ.もしも君が何かを追い続けようとすれば,どんどんと深みに嵌まっていくことになる.(If you try to follow anything up, you go deeper and deeper in various directions.) 例えば,もし君が「なぜミニーおばさんは氷の上で滑ったのか?」と問うたとしよう.そりゃ,氷が滑りやすかったからさ.誰だって知っている.このとき,君は「その答えで満足です.氷は滑りやすい,これで説明つきました.」と答えることもできるし「なぜ氷は滑りやすいのか?」と問い続けて深みに巻き込まれていくこともできるんだ.なぜなら,氷のように滑りやすいものって多くはないからね.濡れていたりぬるぬるしているの以外で滑りやすいものはなかなかないよ.固体は滑りやすいかといえば氷がそうなんだけど,氷の上に立つと圧力で氷が一瞬ほんの少しだけ溶けて瞬間的に水になって,その表面で滑り易くなる.なぜ氷の上で滑り易くなって他のものではそうならないかというと,水は凍ると膨張するからなんだ.圧力をかけるとこの膨張をもとに戻そうとして氷は溶けることになる.圧力で氷を溶かすことができるけれど,他の物体では凍るとヒビが入るから,圧力をかけても個体のままでいたいというわけさ.なぜ水は凍ると膨張して他の物体はそうならないのか?僕にはこの質問には答えられないけれど,それが如何に難しい質問かということは言えるね.君が理解することを許可されているものは何なのか,何が理解され知られることが許されていて,何が許されていないのかを君は知ってなければならないね.(You have to know what it is that you are permitted to understand and allowed to be understood and known, and what it is you are not.)

ブログに費やす時間は基本的に30分までと決めているので,最初に紹介したFeynman先生の言葉が出てきたところで,本日はここまでとし,続きは来週にさせてください.それではまた.
タグ:統計
posted by Tad at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 統計教育

2017年12月30日

統計とは

問題解決のコンサルテーションをしていて,ときどき統計をお教えすることもあります.統計は知らなくても問題解決できるという考えには変わりはありませんが,統計を知っていればより深いレベルで問題解決に挑めるのは間違いありません.そのときに必要になるのは良い教科書ですが,技術者に使える統計を教えたいというわたしの目的に合うものがなかなか見つからずに困っています.
多くの企業で実施されている社内教育ではパワーポイントの資料(あるいはそれを製本したもの)で済ませることがほとんどですが,これでは生徒の予習,復習ができません.良い大学の授業では,(基本はその先生がお書きになった)教科書があって,それを生徒が読んでいるという前提でパワーポイントを使って(あるいは今でも板書して)講義が進められます.パワーポイントには教科書と同じことを書くのではなく,それの理解を深めるような内容でなければ生徒は授業に興味を失ってしまいます.ですから教科書は適度に難しいことも重要です.しかしながら,これは学生相手だからなのであって,一般の技術者には「限られた学習時間で」という制約があることも考慮しなければなりません.
そこでここ数ヶ月,わたしの求める良い教科書を探して統計の本を洋書和書かまわずに手当たり次第に読んでいます.その中で気づいたことがあって,統計とは何かについての説明がそれぞれの本で微妙に異なっているのです.比較的難易度が低い和書でいくつか紹介しますと,例えば栗原伸一他(2017)『統計学図鑑』,オーム社,では「統計学とは,データを統計量(平均など)や図・表にまとめて,その特徴をとらえる学問です(p2)」という統計は手法であるという立場ですが,同じ著者でも,栗原伸一(2017)『入門統計学』,オーム社では「実験や調査を行って得られたなんらかの数値データを統計と呼ぶ(P2)」と書かれていて,こちらではデータそのものが統計という見方です.続けると,小島寛之(2006)『完全独習 統計学入門』,ダイヤモンド社,では「「生の現実」から,何かその分布の特徴や癖を引き出すための手法(p17)」と『統計学図鑑』と同じく統計とは手法であると書かれています.涌井良幸他(2015)『統計学の図鑑』,技術評論社,では「ある集団についての傾向や特徴を知るために「観測」したり,「調査」をしたり,実験した結果を「数字」や「文字」でまとめたものを統計と呼びます(p10)」と統計とはデータそのものであるという説明です.林雄亮他(2017)『SPSSによる実統践計分析』,オーム社,には「社会科学(特に社会学)における統計分析には,関心のある社会現象の「記述」と「説明」という二つのねらいがある(p3-4)」という趣旨のことが書かれています.この本は社会科学系の統計を解説している本なので社会現象と限定していますが,これを自然現象と言い換えても良いと思います.
わたしが思っている統計に一番しっくりくる説明は青本として有名な,東京大学教養学部統計学教室編(1992)『自然科学の統計学』,投稿大学出版会,の序文にあります.そこには「統計学とは何かということについては,昔からいろいろ面倒な議論がある」と書かれていて,その上で「簡単にいえば,それは数字データというものを,どのように分析し,どのような判断をくだしたらよいかを論ずる学問であるといってよい」とあります.
このようないろいろな統計の捉え方があって,それらのどれもが間違いではありません.とはいえ,この状況は「群盲像を触る」というインドの寓話を思い出させます.昔インドの6人の盲人が像のそれぞれ異なった部位を触って,それぞれ樹木の幹(足)や大蛇(鼻)のようなものだと主張したというお話はご存知でしょう.この話は学生時代に勉強したDavid Bohm(1989),“Quantum Theory”,でも(7人の盲人が鼻はロープで足は木と,細部は微妙に異なっていましたが)光の定義にこの寓話が引かれていて,Can we find a single concept that will unify our different experiences with light?と問いかけるフレーズを鮮明に覚えています.
今改めて,Can we find a single concept that will unify our different experiences with statistics?と思うのです.上述したそれぞれの統計のイメージは間違いではありませんが,わたしには何か物足りない気がしています.統計現象の観察,記録である数値を統計情報に変換して,それをもとに意思決定をくだし,それに従って行動する,この一連の流れすべてが統計であり,それを研究する学問が統計学ではないでしょうか.
残念ながら,青本の中身は序文と少し乖離していて,必ずしもこの流れに沿った本ではないことと,(赤本同様に)扱っている範囲が広く,何よりもこの本は東大生の教科書ですから,1コマとして年間30回の講義によるサポートを受けられない一般の技術者には敷居が高いのも事実です.洋書にはいくつか良い本があるのですが,自分の専門分野でもない英語の本を昨今の技術者に読めというのも現実的ではありません.良い教科書探しをこの年末年始に続けます.その結果次第ではありますが,本書の執筆で懲りてはいるのですが,自ら執筆することも検討するかもしれません.
それでは皆様良いお年をお迎えください.
タグ:統計
posted by Tad at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 統計教育