2017年09月23日

あての話

Amazonで万年筆のインクを物色していて,いつもは見ないことにしている「統計的問題解決入門」のページにふと目がいったところ「なか見!検索」が実装されたようですね.「はじめに」を含んだ最初の15ページだけですが,雰囲気だけでも伝わればありがたいです.とは言っても,ここだけ見るとJMPマニュアル本のように見えてしまうかもしれません.本書の第3講以降では徐々にJMPを問題解決に使うことに主題を移していくので,マニュアル本のつもりで購入された方は当てが外れるかもしれません.そうだとしたら申し訳ないです.
「当てが外れる」で思い出したので無駄話を一つ.本当はそろそろ本書の補足などを書いていこうとも考えたのですが,来月開催予定のJMPer’s Meetingでお話しすることと重複してもどうかと思い,このブログではしばらく雑記を書くことにしておきます.会場を広くして定員を増やせる可能性もあるとかで,上記のセミナーはまだ申し込み可能なようです.よろしければどうぞお越しください.
さて,当てが外れた話です.私は木工を趣味としています.赴任先の米国では男10人集めればそのうち3人は木工(Wood Working)をやっているというくらい普及していて,TVや雑誌でも盛んにWood Workingの情報を流していました.木工道具の専門店なども近所にあり,同僚のアメリカ人に勧められたこともあって一時はかなり凝りました.自宅に地下室があったので,テーブルソーやバンドソーなの大型機材を買い込み,本棚やテーブルなどを製作していました.家具作りともなると大きい板が必要なので,製材所に行ってWalnutなどの気に入った木材を見て回ります.その際に注目するのが木目の性質や変形具合です.特に反った木材は要注意です.日本では一般に反った木材をアテ材と言いますが,これは厳密には正しくありません.
陽疾と書いて「あて」と読む言葉があります.太陽に疾る(はしる)と言うことを意味していると推測しますが,何が疾るのかというとそれは樹木です.太陽を目指して樹木は成長します.特に山の斜面では南を目指して斜めに伸びていくことになります.こうした樹木は重力に対抗するために成長の過程で主幹が変形し,内部に応力が蓄積されます.樹木のこのような部分を陽疾と言うのです.単に反りが大きい木材をアテ材というのではありません.というのも,アテ材は(単に)反っている木材に比べて少々性質が異なっているからです.厳密には陽疾が原因で現在(あるいは今後それ以上に)反っている(いく)木材のみをアテ材といいます.
陽疾に蓄積された応力が製材の乾燥工程でリリースされると,その木材は反りやすいのです.一般住宅用の木材は炉に入れて人工乾燥(Kilin Dry)させることがほとんどですが,人工乾燥では乾燥の過程で樹種によっては木材にダメージが入りやすいので,いまだに天然乾燥(Air Dry)も実施されています.この状況では家を建てた後に,徐々にそれらの木材が反っていくという困ったことになります.
このため,昔は上棟してしばらく放置して,壁塗りをする前に補修可能する工程を設けていたそうです.スループットを犠牲にしてノイズ対策の工程を追加したといったところでしょうか.もう一つ,昔の大工の棟梁は家(と言っても大きな家でしょうけど)を普請する際にしていたというロバスト化があります.もう一つ,昔(と言っても相当昔でしょうけど)棟梁は自ら山に行って木を下見に行き,自然環境でどのように育っているかを観察し,どの木材をどこに使うかを決めていたと聞きます.樹木を伐採,製材する前に陽疾の具合を観察して,それぞれが乾燥していく過程で今後どのように反っていくのかを予測しておくわけです.腕のいい大工はその予測に基づいて(反りの具合いを見込んで)家を建てました.これがうまく予測通りになってくれると,家の(接合部の)強度が増していきます.なんとも素晴らしい匠の技ですが,たまにこの見込みと異なる反り方をしてしまう木材が出てきます.こういう状況をアテが外れるといったのです.
このような匠の技は現代では失われつつあります.反りの出にくい(陽疾のない)樹木を育てる工夫はもちろんですが,集成材などを使用することでそもそも反りのない木材を使ったり,ジョイントに金具を使うことで反りを強力に補正したりして,反りを予測するという必要がなくなってきているからです.私が大工だったらつまらない時代になったと嘆いているでしょう.予測するというのは人間にとって必須の能力であるとともに一種の麻薬のようなものです.アテが外れるということにはギャンブル(射幸心)とも密接な関係があるので,それは人間にとって必要悪であるのかもしれません.
統計的問題解決は統計モデルによる予測をベースにしていますが,それを面白いと感じるのはその予測が当たった(あるいは外れた)ということを目の当たりにできるからです.匠の技のようなKKDの技術を後世に残すことも統計的問題解決の一つの重要な役目ですが,予測という点で両者に接点があるようです.職人技をモデル化して後世に継承することには近いうちに挑戦してみたいと考えています.
今週も雑談ですいませんでしたが,それではまた.
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2017年09月16日

DOEは斜めから学べ

誰か訪れる人がいるのだろうかと思って始めたこのブログですが,オーム社からサポートファイルをダウンロードされた方もいらっしゃるようで,少なくとも書籍を読んでくださった人がURLを拾いに来てくださっているようです.ご面倒をおかけいたしまして申し訳ございませんが,本当にありがたいことです.書籍にアドレスを直接書かなかったのは変更等に柔軟に対応できるからです.実際に,当初はGoogle Driveに置く予定にしていましたけれど,会社からではアクセスできないケースもあったりしたので,急遽オーム社に置き場所を作ってもらいました.
URLを拾うついでにそれ以外のブログ記事を読まれる方もいらっしゃかもしれませんので,過去の記事も読み返してみました.今まで誰の目にも触れることはないだろうと気楽に書いていたのですが,色々と訂正したいこともあります.明らかな間違いは既に修正しておきました.例えば,「JMPの提示する最適実験数で実験すると誤差の自由度は0になってしまいます.」というのはもちろん,「JMPの提示する最小実験数で実験すると誤差の自由度は0になってしまいます.」の書き間違いです.
他にも誤解を招くような記事もありました,池上彰,佐藤優(2016)『僕らが毎日やっている最強の読み方』東洋経済新報社を紹介した記事では批判めいたことを書いていますが,幾つかの学びを得たという点では読んでよかった本です.例えば,池上さんが,情報をくれるのは斜めの人間関係であると言われているのは全く同じ思いです.NHKに新米記者の頃,その世界でのいろいろな情報を教えてくれたのはNHKの先輩ではなく,読売新聞など他社の先輩たちだったということです.後輩とはいえ同じ会社に属していればそれには競争があるからです.もちろん,他社との間にも競争はありますが,成果として「特ダネ」という非常にわかりやすい指標がある会社では,後輩をライバルとして意識せざるを得ないという気持ちはわかります.
少なくとも専門分野に限っては,技術者の世界ではコンプライアンス遵守の観点から斜めの人間関係は築きにくいものです.いわゆる独占禁止法では競合他社との情報交換は第三条(事業者は,私的独占又は不当な取引制限をしてはならない.)に抵触する状況証拠と見做されるおそれがあるからです.かといって,縦の人間関係においても池上さんの場合のような状況があります.自分の経験からは後輩をライバルと思ったことはありませんが,それは仕事が細分化しすぎていて張り合うことがなかったからでしょう.とはいえ,後輩に何かを積極的に教えるという意識は希薄であったことも正直なところです.今でこそ人に教えることを生業の一部としていますが,当時は自分の分野の勉強に精一杯で,とても後輩の面倒を見ている余裕はありませんでした.こと専門分野に限っては,技術者の教育的な情報交流には縦も斜めも障害があるのです.
一方,統計学やデータ処理それにDOEといった(どの分野にでも有効という意味で)一般的な知識においても,(後輩に教えるという)縦の情報の流れに障害になっていることがあります.それは上司の存在です.人は自分が教えられたように教えることを好みます.こと教育については保守的であるものです.聞いた話なので,どこの会社とは言いませんが,ある技術者が後輩に実験計画を教えたところ,その後輩は上司に「そんなことで遊ぶな」と叱責されたそうです.KKDタイプの技術者を上司に持つと部下はDOEもままならないのです.
ところが,これが社外の人間に教えられたことであれば,異文化として受け入れてもらいやすいのです.DOEは受け入れられない上司であっても,それが舶来のものであればありがたがるというのは,さすがに新しいものには興味があるという技術者魂は備わっているからでしょうか.これが日本特有なことなのかはわかりませんが,いずれにせよ,日本ではDOEを学ぶには斜めからが容易なようですとはいえ,一般分野といえども斜めの人間関係を築くのは今のご時世では難しい面があります.他に探すとすれば,斜めから学ぶ機会としては学会がその一つの手段ですね.代表的なところではJSQC(日本品質管理学会)がありますが,なぜか土曜日に開催されるので通常の会社員には参加しにくいし,正直申しまして産業分野の技術者の参考になる発表は少ないと思います.先にお知らせしましたDiscovery Summitが斜めから学べる場になるようにしていけたらと思っています,

それではまた.
タグ:統計学 books
posted by Tad at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2017年08月03日

再現について思うこと

このブログを見ている人はまだいないと思うと,何か星空を眺めてつぶやいているという孤独な気持ちです.とはいえブログ書きの練習の意味もあって雑文を書きます.週末に定期的にアップしようと思っていたのですが,そうするといざ書こうとしても書きたいと思っていたことを忘れてしまっているので,思いついたときに書くことにしました.
「統計的問題解決入門」ではテーブルの結合(join)と連結(concatenate)について,日本語ではそれらの言葉の使い分けが曖昧であることを指摘しました.その他にも,計測不能という言葉も英語のimmeasurableとunmeasurableという使い分けがそもそも日本語にないことも触れています.最終的にはページ数の制限のために割愛しましたが,同じような英語と日本語との言葉の齟齬についても初期の原稿にはその他にも幾つかの例を書いていました.その一つが再現という言葉です.再現実験という言葉は本書でも用いていて,言葉の意味からは確認実験と呼ぶ人もいるということを言及しています.
再現実験を確認実験という言葉に置き換えること自体には抵抗はありませんが,再現実験は英語ではReproducible experimentであり,再現という日本語にはRepetitionとReplicationとに対応した意味があるということには注意が必要です.Repetitionとは空間的時間的に異なった複数点での観測のことで,Replicationとは空間的時間的に限定された複数の観測のことです.前者を反復,後者を繰り返しと呼んで区別している方もいらっしゃいますが,一般には厳密には使い分けられていないように思います.ややこしいのはあのFisherでさえ,RepetitionとReplicationとの区別はしているものの,それらを合わせてReplicationと呼んでいたりしていることです.(出典を探したのですがすいません,どこで読んだのか失念してしまいました.)
計測技術に長く関わってきた者として再現性は装置評価には必須の指標です.再現性はRepeatabilityとReproducebilityの二つで定義されます.それぞれはRepetitionとReplicationとに対応しているものと考えています.従って,厳密には繰り返し再現性と反復再現性と呼ぶべきなのかもしれませんが,計測分野ではそういう区別はなされていません.従って,再現実験をパラメータ設計で求められた解における推定値と実実験での値との反復再現性を評価するための実験と定義すれば,これを再現実験と呼んでも問題ないように思います.確認実験と呼ぶべきだという主張は,繰り返し再現性のイメージが強いのかもしれません.
 これらの言葉の齟齬は統計学に限ったことではなく,日本語と外国語とではあって当たり前のものです.例えば,龍は和英を引けばDragonですが,龍とドラゴンとは違う概念ですし,そもそも龍は竜とも違う概念です.りんごも厳密にはAppleとは異った概念を示す言葉です.わかりやすいのが画像検索で「なし」と「pear」をそれぞれの言語で検索してみてください.日本人の梨とアメリカ人のpearとは想うものが違うことが一目でわかりますね.
統計を学ぶ際に英語で学ぶことのメリットについては常々思っていることです.概念の理解にはその言語の原産地の言葉で学ぶのがベストですが,それもなかなか難しいのが現実です.いつかのブログでも書きましたが,新しい学問分野を輸入する際には先生方には後学の徒のために最適な日本語を考えてくださることを願うばかりです.Alternative hypothesisを対立仮説と訳した先生も(ご存命とは思いませんけど)もしかしたら後悔なさっているかも知れません.
タグ:統計学
posted by Tad at 20:48| Comment(0) | 雑記