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2018年07月21日

神の視点

コメントをいただいたことを受けて,本日は観察について書きます.暑いので短めにします.
計画作成に先だってシステムについての考察は必須であり,そこでは観察が重要なのはいうまでもありません.とはいえ.観察には対象を注視するというニュアンスがあるので注意が必要です.以下の考察は,ボー・ロット(2017)『脳は「ものの見方」で進化する』サンマーク出版にインスパイアされています.この本によると.脳神経科学では,私たちの脳内で生まれる可能性のある「知覚」の適応度地形モデルという概念があるようです.ここ言う「知覚」は思考や概念,行動あるいは判断と読み替えても構いません.脳内で生まれる可能性のある「知覚」は無数にあるけれど,過去の思考や行動によって実際に取りうる「知覚」は制約を受けるということ,即ち,私たちの思考や行動はいついかなる時でも常に思い込み(バイアス)に支配されているとこの本には説かれています.
この議論のアナロジーを問題解決に適用します.ちょうどセミナーでこの話をしようと図を作成しているところだったので,この図で説明します.
神の視点.001.png
この図では横軸をシステムの状態とし,縦軸をその適応度としたシステムの可能性の空間を示していると考えてください.適応度は満足度のようなものと考えても差し支えないでしょう.まず重要なことは現状は何らかの局所的な最適解にはなっているはずだということです.だからこそシステムは安定しているわけです.それが何らかの理由でより高みを目指さなければならなくなった.これが問題解決のスタートです.問題を意識しなければこの準安定状態から脱することはなかなか難しいものです.おそらく手遅れになるまで気づかないということもあるでしょう.
現状を抜け出そうと第一歩を踏み出せたとしても,このとき,「知覚」の可能性の空間の探索が過去の経験を拠り所とするように,現状のシステム状態をベースに探索することが一般的です.品質工学でL18の2列目以降の第二水準を現状値に設定せよとするのはその一例です.もちろん,現状からスタートすることは現状の改善には有効ですが,この図のように近くの高みに出ることがせいぜいであるということが問題です.
神の視点.002.png
この状況ではこの図に示したより良い最適解にたどり着くのは困難です.
神の視点.003.png
システムの場合,更に複雑な状況があります.それはこの図に示したような,ある状況下においてのみ真の最適解が出現する可能性があることです.
神の視点.004.png
真の最適解を見出すにはどうすればよいのでしょうか.
ボー・ロット(2017)の「知覚」の議論では,この状況で私たちは挑戦と失敗を繰り返しながら「可能性の空間」を探検するしかない,と書かれています.なぜならば,この図のように,人間である私たちには現状の近くまでしか見渡せないからです.多くの争いは各人が知覚している(あるいは知覚できる)最適解が異なっていて,しかもそれは互いに認知できないということにあります.実際の実験計画ではこの図のような状況であるということです.
神の視点.005.png
全ての人に共通な最適解を見出すためには神の視点が必要なのです.知覚の空間で神の視点を持つことは容易ではありませんが,問題解決では実験計画によって神の視点からシステムを眺めることが可能となります.その鳥瞰図が応答関数ということになるわけですね.
神の視点で応答関数を眺めるには,現状を実験空間の中心に据えるという制約は外し,可能な限り広い領域で応答関数を眺めることを優先すべきです.このとき,必要になるのは応答関数という地形モデルに対する仮説です.その仮説はシステムの観察から立てられるものですが,その際に固定した視点からシステムを注視するのではなく,視点を切り替えることを意識すべきです.社会学者のアルフレッド・シュッツの現象学的社会学で提唱されている「多次元的な現実」は人の視点で社会の見え方が変わってくることを意味していますが,まさに社会をシステムと捉えれば同じことが言えるのです.
視点を変えるのには,それを意識することが肝要です.他の人の見方を身に付けるのはトレーニングもが必要になるかもしれません.システムの別の部分に光をあてるという感覚も大切にしたいです.自分なりにいくつかの方法論は持っているのですが暑いので本日はここまでとします.観察は大事ですが,陥り易い罠もあります.いずれにせよ,観察という日本語からは視点を切り替えるというニュアンスが弱いので注意したいところです.
それではまた.
posted by Tad at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 統計的問題解決

2018年07月14日

あひる三題


それほど気温が高いというわけではないのですが,日中歩いていると体力を消耗する日々ですが皆様いかがお過ごしでしょうか.PCに向かうのも怠いので今週は暇ネタにしようと思案しつつ,ツイナビを眺めていたら,「あひるが見える人は病院へ」という見出しが目にとまりました.その写真には確かに二羽のあひるが見えます.これはまずい...実はわたしは鴨とかあひるとかの水鳥が好きで観察に出かけて写真を撮ったり,カービングで木工作品を作ったりしています.たまたま昔作った写真が手元にありましたので,始めた手の頃でまだ下手なのでお恥ずかしいのですがこんなのを作ってます.
かも.jpg
胴体に線が入っているのがお分かりと思いますが,ここで二つに別れるようになっていて,頭部が蓋で胴体が小物入れになっている仕様です.色は塗っていませんが,チェリーのブロックを使ったので経時変化で赤くなっています.
さて,このブログとあひるを強引に紐付けると,本書p175のひとやすみで書いた「醜いあひるの子の定理」があります.この定理を命名した背景は定かではありませんが,おそらく渡辺先生はこの世のいかなる差別をも主観のなせるものと看破することを意識して証明されたのではないでしょうか.問題解決の観点から考えると意思決定には主観が必ず入るということが証明されているということです.考えてみれば,仮設検定にも有意水準という主観的な要素が入っている訳で,このことからもF検定で導かれる統計モデルにも主観的な要素が入っていることに気付かされます.
問題解決にはもう一羽あひるがいます.問題をロジカルに考えるときに使う手法のラバーダッキングです.手法と言っても簡単なもので,誰かにその問題について教えることで構造を整理しつつバグや解決法を見出すことです.プログラミング分野以外ではあまり使われないかもしれませんが,何かの問題を考えるときはとても有効な手法です.その誰かはなんでもよく例えば赤ん坊がお風呂に浮かべて遊ぶ玩具のゴム製のあひる(ラバーダック)であってもいいわけです.事実,あのエニグマの解読で有名なチューリングもこのブログ記事によれば,PorgyというTeddy Bearを前にしてラバーダッキングしていたそうですチューリングの不遇な最後を思うに,醜いあひるの子の定理がもう少し早く証明されていればと考えてしまいます.コンピュータ科学に偉大な足跡を残した科学者が,エリザベス2世女王の名をもって正式に恩赦されたのは2013年ですからまだ記憶に新しいところです.
チューリングの場合は講義の練習でラバーダッキングしていたそうですが,このようにプログラミングに限らず,人にものを教える過程でいろいろな粗に気づくことはわたしも常に経験しています.皆様も一度お試しください.
最初に「あひる三題」と名前をつけてしまったので,もう一羽のあひるを探しています.最近どこかで見かけたのですが...思い出しました.あひる本です.Stanを少し勉強しようかと思って松浦(2016)『StanとRでベイズ統計モデリング』共立出版に行き着いたのですが,この本はあひる本と呼ばれています.その理由はお分かりでしょうか?表紙のレゴブロックの構造物があひるだからだそうです.うーんちょっと見えないです.最初のツイナビの写真の方がアヒルに見えました.

三連休暑い日が続くようです.皆様も体調にお気をつけください.それではまた.
タグ:問題解決
posted by Tad at 19:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記

2018年07月07日

フォローアップセミナー

以前この場でお知らせしたと記憶しているのですが,「統計的問題解決入門」のフォローアップセミナーを開催します.PCを持参していただくセミナーなので,3人がけの机一つに最大2名とした都合で定員が限られています.現時点でJMPer’s Meetingを開催する部屋の半面を使う予定で,スクリーンが見にくい場所を除外すると机は18個くらいとのことなので,最大で36名といったところでしょうか.定員の都合があるので,JMPer’s Meetingのように一般募集はかけず,SASの営業さんから興味を持って頂けそうなお客さんに直接アナウンスしてもらいました.今回は製造業(おそらく電機系)に限定しましたが,タイミング的にすべての会社を回るのは無理ですし,それぞれの会社の窓口から下に降りていないかもしれません.ですから,もしも参加したいけれど,声が掛かってないという方がいらっしゃいましたら,どうぞコメント欄でご連絡ください.もう定員は埋まったようにも聞いていますが,数名であればなんとかします.実際,ブログ経由でも参加希望頂いていたので,その方にも参加していただくことにしています.非公開セミナーなので,ここに日時等はかけませんので,連絡いただければを追ってお返事します.JMP正規ユーザで本書購入者限定のセミナーですが,今回オーム社に協賛していただけて,この機会に本書を書店価格よりも安く購入できるようになっていることもお知らせてしておきます.
当初,もっと小規模に数名でやろうと思っていたのですが,思いがけず大きいセミナーになってしまいました.個人的にはJMP初心者もWelcomeなのですが,背後に回ってJMP操作を一人一人見て差し上げることは困難になったため,JMPに初めて触るような入門者を想定した第1講はセミナーから省きました.その上で,ある程度JMP操作を習得しているJMP初心者を対象に,第2講から第4講までをフォローすることをメインとして,MCDAアドインを使った第5講は時間の関係で割愛します.本当は第5講こそフォローアップが必要かと思うのですが,色々なレベルの方がいらっしゃると聞いていますので,次の機会に回します.今後こそ少人数であのガラス張りの部屋でやりたいですね.
セミナーで思い出したのですが,最近読んだ,松沢哲郎(2018)『分かちあう心の進化』岩波科学ライブラリー,によれば,現代でもアーミッシュの集落ではワンルームスクールがあることを知りました.ワンルームスクールとは『赤毛のアン』を読まれた方ならば,アンの通っていた学校のようなものといえばお分かりでしょう.実はわたしは『赤毛のアン』のファンでして,わざわざPEI(プリンス・エドワード・アイランド)という物語の舞台となった,作者であるルーシー・モード・モンゴメリの故郷まで旅したことがあります.そこで,再現された当時の教室なども見学したのでイメージが浮かびます.数年前になりますが,NHK連続テレビ小説「花子とアン」は戦時中に『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子の生涯をモデルにした物語でした.実は自宅にTVはないのですが,出張などでホテルに宿泊した際には楽しみに見ていたことを思い出します.
さて,ワンルームスクールの場合,年齢の異なる生徒が一つのクラスに集まって学ぶという寺子屋スタイルだけでなく,先生はその学校を卒業した生徒が代々先生になるということに特徴があります.上記の本には次のように授業の様子が描写されています.
「先生が一年生に教えているとき,6年生が2年生のめんどうをみます.5年生が3年生を教え,4年生は自習している.」
ワンルームスクールは企業教育の一つの形態でもあります.専任の講師を抱える大企業もありますが,ほとんどの会社では一部の技術者が先生になって後輩の技術者を教えています.これを一歩進めて,生徒としての技術者が互いに教えあうという環境が「技能」を身につけるにはとても有効と考えています.その昔,雑誌で成蹊大学の塩澤先生が,米国では技能を身につけるためには,"See one, Do one and Teach one."が大切だと言われていると書かれていました.(もしかしたら英語はそのものではないかもしれませんが,そのような意味でした.)講師としてのわたしは生徒に技能(例えばJMPの操作)を見せることはできますし,実習としてやってもらうこともできます.しかしながら生徒が教える機会を作るのがなかなか難しいのです.そこで現実的な解として,生徒同士が教えあう機会として事例検討会を設けたりしています.
本日はいろいろと所用がありまして,短いですがここまでとします.それではまた.